学生レポート

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ヒューゴの不思議な発明」試写会の感想

2012年2月17日(金)16:30より、TOHOシネマ六本木ヒルズにて、マーティン・スコセッシ監督の「ヒューゴの不思議な発明」の特別試写会に本学部の学生が招待されました。

全体の雰囲気は、こぢんまりとした会場に学生含め、大学関係者、報道陣などが参列。日大の古賀准教授のジョルジュメリエスに関するトークの後、映画の試写が行われました。試写会の後、休憩を挟んでマーティン・スコセッシ監督が来場し、会場は大きな拍手に包まれました。

映画に関しては日芸の映画学科の学生が「段々とジョルジュメリエスが監督に思えてきたのですが」と問いかけました。「僕はどちらかと言えばビューゴだ」と監督は返し、自身の幼少の頃の話と、小さい頃に体が悪く出歩けなかったことで、沢山の空想をしていた経験が映画に繋がったことなどを話ました。続けて、テジハリの学生2名が「映画を作る上での心がけ3つ」や残り2名を獨協大学の学生が「50年後、この映画は愛されていると思うか」など、ユニークな質問を投げかけ、監督も学生たち話すたびに笑顔が溢れていました。

「ヒューゴの不思議な発明」公式サイトLinkIcon

岡村智剛

人間というものは神様が創った機械人形<カラクリ>である。しかし、それは考え、他を愛し、他に愛される機械人形である。

神様はとても完成度の高い複雑なものを作り上げた。だが、複雑すぎるがゆえに、時折、オイルを注がなければたちまち錆びてしまうし、ネジが一つ抜けてしまっただけでも、徐々に不具合が生じてきてしまう。一度、不具合が生じてしまえば、直るには壊れるよりも時間がかかってしまうし、本当に最後まで直るとは限らない。それが人間という機械人形である。

このヒューゴの不思議な発明という作品の中には非常にユニークな人物達が登場するが、皆、広い駅舎のどこかで、それぞれの想いをいだきながら生活をしている。それは愛であったり、恋であったり、友情といった感情である。しかし、中には辛い過去を抱えた人物もいて、まるで時が止まってしまったかのように、何気ない生活を送っている者もいる。ヒューゴは小さい頃に父親を亡くしたとても哀しい思い出から、生きるために盗みをし、ネジを巻き、そして、父の形見ともいえる自動人形を直し続けていた。そんな彼はある時、人形を直すために寂れた玩具屋のおもちゃを直そうとするが、ジョルジュ・メリエスに捕まり、父親の大切なノートを奪われてしまう。だが、ヒューゴの才能に目をつけたジョルジュの計らいで、ノートを取り戻すために彼の店で働くことになる。実在した映画監督であるジョルジュ・メリエスはヒューゴに厳しく接するが、彼もまた重く辛い過去を抱え、時が止まってしまった者の一人であった。

映画の前半はおもにニューゴと自動人形を直す鍵を握るイザベルとの冒険物語のように展開していくが、ジョルジュ・メリエスを研究する学者ルネと出会ってから物語は急展開を遂げる。この映画の真の奥深さはジョルジュ・メリエスについての物語に移ってからが面白い。その内容は、歴史的事実にとてもよく即している。また、数多くのサイレント映画を見ることができるのもこの映画の特徴であろう。
そして、この映画でもっと重要なのは壊れた自動人形と止まってしまった心である。
ヒューゴが発明した不思議なものとは、きっと、彼の純粋さと優しさが生んだ、錆付いてしまった心の時計を動かしてくれる、不思議なネジ巻きかもしれない。

マーティン・スコセッシ監督自身がヒューゴに自分を投影し、この駅舎の中でした冒険は、その後も多くの人の心を動かし続けるだろう。

奥村駿平

映画鑑賞前に「グッド・フェローズ」や「ディパーテッド」など暴力的なテーマを表現した映像を作るイメージの強いマーティン・スコセッシが、ファミリーを対象にしたアドベンチャー作品を監督したと聞いた時、作品のビジュアルが思い浮かばなかったのを覚えています。

しかし観賞後になれば、彼がジャンルに囚われないキャパシティの持ち主であることを確信できました。スコセッシ監督が得意とする人間の心の 根底を引き出しながらも夢や冒険に満ちあふれた描写が随所に散りばめられ、それでいて映画に対する愛情を盛り込んだ演出で観る者の心をがっし りと掴む仕上がりだと感じました。父親を火事でなくした少年ヒューゴが自分を捜すために駅の裏側を駆け抜ける姿、玩具屋の老人の隠された過去、古典映画へのリスペクトと相まって、映像、美術、世界観、それら全てに監督の映画に対する”想い”が凝縮され、物語を紡いでいると思いま す。

現存する偉大な映画監督はそれぞれの個性を映画の中で存分に発揮し、スタッフが最高の仕事を出来る環境づくりに励み、その名に恥じない表現 力とアイデアで観客を魅了しますが、スコセッシ監督もまたその一人であることに間違いありません。試写会の中で飛び出した学生の質問一つ一つにフレキシブルな姿勢で応えてくれて、威圧感ではなく親しみを持って我々映像を学ぶ生徒に、映画と同様、夢を持たせてくれました。巨匠と呼ば れる人間が作る作品が世界中で愛されているのも、優しい表情を浮かべる監督自身が映画好きであるからかもしれません。

劇中でよく口にしていた“マジック”という言葉。それは映画の中でも重要な要素であり、全編に注がれた“映画愛”を表現することで、監督が 思い描いていた映画がもたらすマジック(奇跡)を私たちに与えてくれたのだと思います。自分のように、映画が本当に好きな人達だけでなく、この映 画を観た人達が幸せや感動を目の当たりにすることは勿論ですし、そうであって欲しいと願います。この作品は、数々の名作を生み出したスコセッシ監督が新たな次元に挑んだアートワークです。観賞後の興奮も収まらず、公開後にもう一度劇場で鑑賞して、違った視点や演出に着目し、試写会では触れることの出来なかった新たな感動を見つけたいと思いました。

椛嶋秦資

マーティンスコセッシ監督の作品を挙げるとすれば何が挙がるだろうか。タクシードライバー、シャッターアイランド、ディパーデットなど、犯罪映画やアビエイターやレイジングブルなどと言った伝記映画などが挙げられるだろう。登場人物の誰かは必ずといってもいい程、心が病んでいる者、殺しにたいして躊躇のない者が出て来るが、今回の作品、ヒューゴの不思議な発明には、そういった人物や殺しは一切出てこない、むしろ監督を知らずに見たら、一体誰が作ったんだというくらい、真逆の作品になっている。

この映画を見た時、監督の映画に対しての愛というのを感じられた。ジョルジュメリエスという監督を扱うにあたって、映像の中で、映画創世期に行われた機械美を映像の中に取り入れたり、リュミエール兄弟の作品、『工場の出口』のような人が波の様に出て来る物などの映像表現がふんだんに盛り込まれている。彼を語ると同時に映画創世期に出てきた作品、人物をも、尊敬し崇めている。

また、これは自分のかってな妄想だが、マーティンスコセッシ監督がこういった表現を改めて使ったのは、3D映画やCGの進化により映画に新しい時代が来たという事をいいたいのではなかろうか、さらに、今の時代を映画創世期と同じような時期にきてるのではという事をいいたいのではと思ったが、さすがに妄想が過ぎた。

ちなみに唐突だが、このヒューゴの不思議な発明で好きな言葉は、ベンキングスレー扮するジョルジュメリエスが言った『夢はどこで作られていると思う、ここだよ』という台詞だ。映画を見てくれれば分かるが、この台詞にジョルジュメリエスの映画に対する考えや思いが詰まっていると思う。

一番この映画ですごいなと感じたのは、人物の物語の自然すぎる移行である。余りにもスムーズ過ぎて、いつをきっかけに変わったのか全く分からなかった。話にのめりこんでいてというのも、あるが、いままで、人物をしっかり描き続けてきた監督の技が素晴らしいというのが大きいだろう。

もっともっと彼の映画を見ていたいと思った。この道を目指していてよかったと思った。この作品には、見る人すべてに気持ちを明るくする力があり、見終わった後は心の充実を感じられる。もっと多くの人がこの映画を見た方がいい。

岡庭麻里

私は、第84回アカデミー賞で最多11部門にノミネートされた作品、「ヒューゴの不思議な発明」の試写会で開かれたマーティン・スコセッシ監督の講義に参加しました。
この映画の予告編を以前に観て、世界観や監督初の3D作品ということに興味が湧き、公開を楽しみにしていたのでいち早く観ることが出来てとても嬉しかったです。

この「ヒューゴの不思議な発明」は、映画好きであるスコセッシ監督の愛情が全面に表れた作品だと思います。
“映画”がこの作品の重要なキーワード、というのもこの感想に行き着いた一つの理由ではあるのですが、なによりもセリフの節々に監督の映画に対しての情熱をひしひしと感じたのです。私が思わず胸が熱くなった一言は、ある人物の「映画は魔法だ。夢を見せてくれる。」というセリフ。
ホラーも、ファンタジーも、ロマンスも、もとは誰かの夢。それを現実に生み出し、また別の、今度は大勢の人に夢を見せてくれる。それが映画の最大の魅力だと。

私は映画が大好きで、そうなった理由をいままで考えた事もなかったのですが、この一言にその全てを教えられた気がします。
それから、映画の原点であるリュミエール兄弟の「ラ・シオタ駅への列車の到着」が出てきて、日頃授業で学んだ映画が新しい作品の中でまた息を吹き返すことにもワクワクしました。こういった映画の原点である作品が、3Dという進化した表現の映画で扱われることは、大きな意味があったと思います。

上映後、スコセッシ監督本人を見たときは、いままでもっていた監督のイメージとは全く違っていたことに驚きました。
“ギャング映画の監督”やロック好きという強そうな印象があったのですが、とても穏やかで優しく、質疑応答の際には一人一人の質問に真摯に、丁寧に答えてくれるとても素敵な方でした。世界的な巨匠の教えというより、いち映画人として、私たち映画業界を目指す学生に大切なことをたくさん教えていただきました。

今回、こういった講義に参加出来たことはとても貴重な経験です。この経験を大事にし、よりいっそう目標に向けて勉強していきたいと思います。そしていつかまた、スコセッシ監督にお会いしたいです。

山下宗文

Mr.ニューシネマが来る。
場所はTOHOシネマズ六本木ヒルズ、あー、せっかくの3Dを「XpanD」で観るのかー、残念と思いつつ劇場に足を運ぶ。
劇場には六本木という場に似合わない風貌の映画を目指す学生でごった返している、こいつらが将来自分の道のライバルになるのか、
チケットを貰うところではなく、国際映画祭のようにちょっと別になっているところで、チケットを貰い、映画学生がいっぱい来ているのを眺めつつ劇場をプラプラする。
そしていよいよ入場、3Dメガネを貰い座席に着く。
すると3Dメガネが「XpanD」ではなくなんと、「MasterImage 3D」に変わっているではないか、後々調べると、去年の6月頃からシステムを変えたそうだ。
これでメガネの私でも3Dを楽しめると一安心、光量も前とは打って変わって明るく綺麗に観え大満足だった。

肝心なストーリーだが今回は今までの作風とは違い、子供が主人公の心温まるストーリーになっている。
だが、まだ骨格としてスコセッシの孤独という言葉が彼の作品からは離れないのだと改めて実感する作品にもなっていた。
一体いつになったら彼の作品から孤独は消えるのだろうか?
作品の肝はやはり子供たちなのだが、子供とは思えないセリフが多々あり、妙に子供たちがカッコ良く映る、劇中のセリフで「私の生きてる目的はなにか」などやけにカッコいい、私が同じ年頃の時は、おっぱいとちんこしか言ってなかったのに…
ともあれ、映画の試写が終わり、マーティンがいよいよ私たちの前に現れる。

さっきまで自分が色々と考えながら観ていた映画の監督が今自分の目の前にいる、そのオーラは凄まじく私自身が緊張してしまう。
監督は軽い挨拶を済ませ、いざ学生からの質問が始まる、一つ一つの質問を丁寧に聞き、しっかりと答えてくれ、時折ジョークを交える監督の姿には、惚れ惚れしてしまう。そんな事を思っているとアッという間に時間が過ぎてしまった。

それほど巨匠のオーラは計り知れない物だった。
だが唯一覚えているのが、監督が映画を製作している時の自分について「子供の頃のように戻っていつも興奮しながら映画を作っている。たとえそれがギャング映画でもね」といった言葉だけでした。その後はマスコミ用の写真撮影を終え会場はお開きとなる。
監督はめいっぱい僕達に手を振ってくれその姿はまるで無邪気な子供のようだった、そういった若さやエネルギーが今なお衰えないパワフルな映画を作る彼の秘訣なのかもしれないなぁ。

小島洋輔

初めてこの映画の情報を聞いたとき「まさかスコセッシ監督がファンタジー???バイオレンスを描くのが最も得意な人がファンタジーなど作れるわけない」と思っていました。しかしそれはただの偏見に過ぎず、むしろなぜファンタジーを作らなかったと思うくらい楽しく、美しく、夢があり、そしてこの映画は映画の原点ともいわれる“ジョルジュ・メリエス”のあまり知らなかった過去のエピソードも含まれているし、豪華キャスト、そして3D!映画好きの方にはたまらないと思います。

今までの映画の3Dはただ飛び出すだけで逆に見にくく目が疲れる多かったのですが、今作はほこりや雪など空気上にあるもの、建物の奥行き間をだして空間をうまく表現し、それに合わせたセットとカメラワークだったので観客のことを考えて作っているのだなと感じました。
スコセッシ監督の作品は人の倫理や道徳を描きますが、今作は人の道徳が別の人にどのように影響を与えるかを、メリエスを通して深く感じました。

監督のインタビューの中に「罪」と「責任」を意識していつも映画を作っていると言ってました。その言葉を聞いたとき確かに監督の全ての作品がそうだと納得しました。そして彼も幼い時から孤独だったので様々な作品が作れるのだと思ったし、今作は自分の子供にも見せられる作品を作りたかったと言っていたので、制作者の周りの環境というものは非常に大事という事が分かりました。

そんなスコセッシ監督の「ヒューゴの不思議な発明」アカデミー賞を取れるよう応援していきたいと思います。

そして監督の次回作も期待してます。

奥田侑史

先日、マーティン・スコセッシ監督の「ヒューゴの不思議な発明」を観た。そこには映画に対する愛と誠実さがたしかにあった。
映画はその時代にあったメッセージを込めたものや、うちに秘めた制作者の感情を打ち付けたものと様々であるが、今回の「ヒューゴの~」には時代の物ではない監督の気持ちが込められていると感じた。

試写会終了後の監督との講義に、「普遍的なメッセージをいつも題材にしている。一過性のものなど興味が無い」という監督の言葉があった。その言葉には、作中に登場するとのある人物の復活後の心情と同じものがある気がする。

美しい「月世界旅行」の映像に、私は涙した。