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「なにハや」という文字と桐の紋が染め抜かれた暖簾、赤い提灯の下、すらりとした立姿の茶屋の女、座って洋犬を抱く美人が巧みに配される。難波屋は浅草観音随身門わきの水茶屋。座る美人は、着物に桐紋があることから寛政の三美人といわれ、歌麿らに盛んに描かれた難波屋おきたである。この種の柱絵は、簡易的な軸装をして、柱などに掛けられて鑑賞された。
鳥文斎栄之は、旗本細田家の当主でありながら、歌麿に拮抗して一派をなした美人画の名手。作画期は天明後期から寛政11年(1785〜98)頃までの錦絵時代、以降の肉筆画時代に大別でき、肉筆美人画に名品が多い。
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