コラム COLUMN

第8回 ミヤコワスレ(都忘れ) 万葉呼名:うはぎ

春日野(かすがの)に 煙(けぶり)立つ見ゆ 娘子(をとめ)らし 春野のうはぎ 摘みて煮らしも

作者未詳

都忘れ

今回は番外編の「都忘れ」です。「万葉の杜MAP」には載っていませんが、陽射しの中でとても愛らしい写真を撮ることができました。
日本原産のミヤマヨメナ(深山嫁名)の園芸品種で、春から初夏にかけて薄紫や青紫、白色などの小さな花をつけます。『万葉集』では「うはぎ」と詠まれ、「都忘れ」と呼ばれたのはずっ~とあとになってからのことです。

―いかにして 契りおきけむ 白菊を 都忘れと 名づくるも憂し―

「都忘れ」は、討幕をかかげ、承久の乱(1221年-鎌倉時代)で敗北し佐渡に配流された順徳上皇が、この花を見ることで「都を忘れることができる」という言い伝えからきています。その後、21年間を佐渡ケ島で過ごし、もう耐えられないとばかりに絶食の果ての自殺だったそうです。この時46歳。翌年遺骨だけが都に戻り、大原法華堂の後鳥羽天皇(おとうさん)の側に安置されたといいます。ホント、切ないお話しです(涙)。
島流しになっても身分を尊ばれ、佐渡の金山掘りをさせられたわけではないでしょうが、幼少時から藤原定家(ふじわらのていか)に詩歌を習い、宮中では箸より重いものをもったことのない「まろ(麿)」生活から一転。心慰めてくれたのはこの小さな白い菊の花だったようです(このころは白色だったらしい)。首謀者のワンマンおとうさんを諌(いさ)めるブレーンがいなかった結果、おとうさん自身も隠岐の島へ流刑に。これは800年後の現代社会にも通ずる話しかもしれませんネ。(ま)