コラム COLUMN

第11回 ニワウメ 万葉呼名:はねず(唐棣、朱華)

思はじと 言いてしものを はねず色の うつろひやすさ 我が心かも

大伴坂上郎女

ニワウメ

ニワウメの実

「ニワウメ」はバラ科サクラ属の中国原産の落葉低木で、3~4月にかけて枝にびっしりとウメに似たピンク色の花を咲かせます。花がウメに似ていて、庭木として植えられたことからこの名前になったらしいのですが、実(み)はウメとは全く異なり、食べてみると甘酸っぱく、舌に渋みが残ります。唐棣(はねず)色はその花の色からとった紅花染めのピンクをさし、朱華色とも書きます。

さて、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)ですが、この長~い名前は姓名ではなく「大伴家の坂の上に住んでいたお嬢さん」というような呼称(あだ名)です。郎女には35歳も年長の異母兄旅人がいて、その子・家持が甥にあたります。『万葉集』には「ニワウメ」を詠んだ歌が3首あり、そのうちの1首が家持の作です。

一説には80歳まで生きたという郎女は、13歳で親子ほども年上の穂積皇子(ほづみのみこ・天武天皇の第5子)に嫁ぎますが、2年足らずで未亡人になってしまいます。皇子は享年40代前半だったといいます。恋人(結婚したという説も)の藤原麻呂(ふじわらのまろ・不比等(ふひと)の4男)も早くに逝(い)ってしまうのです。そののちに異母兄の大伴宿奈麻呂(すくなまろ)の妻となり、ふたりの娘に恵まれましたが、その夫とも33歳(20代半ばとも)で死別し、それからは大伴氏の刀自(とじ、主婦)として、また巫女的存在として一族を取り仕切ったといわれています。郎女に打算があったのか知る由もありませんが、長女の大嬢(おおおとめ)に成り代わって、娘の恋人・家持に三日月を題材にした歌を贈ります。家持もそれを承知で大嬢に恋心を返します。家持は家持で叔母にあたる郎女に作歌の手ほどきを受けていたといいますから、話しが 実にややこしいのです。でも、これが功を奏したのか大嬢は家持の正室に納まり、二嬢(おとおとめ、次女)の時も代作がみごとに成功したとか、拍手!1300年の昔も今も、母の思いは海よりも相当に深いのかもしれませんネ。

―あの人のことなどもう思うまいと言ったのに、何と変わりやすい私の心なのでしょう―

郎女にはもっと強烈な歌があります。
―恋ひ恋ひて 逢へる時だに 愛(うるは)しき 言尽(ことつく)してよ 長くと思はば―
「想いはことばにしないと伝わらないわよ」と。そして、「この恋を長く続けようというならね」と半ば脅迫ぎみにダメ押しをしています。この辺が額田王や石川郎女と並び「万葉の恋多き女性」たる所以でしょうか。(ま)