コラム COLUMN

第17回 アジサイ 万葉呼名:あぢさゐ(紫陽花)

あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ

橘諸兄

あぢさゐ

―あじさいの花が八重に咲くように、いつまでもお健やかでいらしてください、そして花を眺めては貴方を思い出しましょう。―

詠み人である橘諸兄(たちばなのもろえ)が、755年5月、丹比国人(たじひのくにひと)邸での宴に招かれ、アジサイに寄せて宴の主人である国人の長寿を言祝(ことほ)ぐお歌です。
諸兄は、敏達(びだつ)天皇の後裔で大宰帥(そち)・美努王(みののおおきみ)が父、母は橘(県犬養(あがたのいぬかい)ともいう)三千代(美努王とは離別し、のちに藤原不比等の後妻に)で、奈良時代の皇族・公卿。妻は不比等と三千代の娘・多比能(たびの)であるらしいが定かではないのです。この時代の人物相関図は非常に難しいです。
ここで引っかかることが一つ。当時のアジサイは、写真のようなガクアジサイのはず(?)であるにもかかわらず、「八重咲くごとく」と。
最近の花屋さんの店先には、何種類もの珍しいアジサイが出回っています。アジサイは日本原産である「ガク」と、品種改良され逆輸入されたま~あるく球状になった「セイヨウ」とに大別されます。してみると、約1300年前の国人宅のお庭には「セイヨウ」のような八重咲きの変種が咲いていたのでしょうか。
『万葉集』にはアジサイを詠んだお歌は、ほかに大伴家持作だけで、たいして人気がなかったようですね。ワタクシ的には梅雨時の憂さをはらすような雨にしっとりと濡れた花びら(実はガク)は、お歌の題材にはピッタリだと思うのですが・・・。
諸兄とは反対に、家持はアジサイのうつろいやすさを嫌い、「上手い言葉にすっかりだまされてしまった」と詠んでいます。

          言問はぬ 木すらあぢさゐ 諸弟(もろと)らが 練りのむらとに あざむかれけり

諸兄は家持と親交があり、『万葉集』の選者のひとりだったとの説があります。(ま)