コラム COLUMN

第19回 ムラサキ 万葉呼名:むらさき

あかねさす 紫野行き  標野(しめの)行き 野守り見ずや 君が袖振る

額田王

紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を  憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋(こ)ひめやも

大海人皇子

今回は額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)のお歌をいっしょにご紹介します。
668(天智7)年5月5日蒲生野(がもうの-滋賀県、琵琶湖の東岸、現在の近江八幡市から東近江市にかけての一帯をさす)で、薬猟(くすりがり)がおこなわれました。端午の節句の一大イベントです。宮廷の男たちは、薬にする鹿の袋角を求めて馬を駆けます。一方女性たちは、抗炎症作用、殺菌作用ある薬として、また 染料として用いられる「ムラサキ」を摘みます。
ご存じでしたか? 実は「ムラサキ」の花って写真のような可憐な白い花です。薬効があり紫色の染料として使われるのは、暗い紫色の根っこの部分なのです。「ムラサキ」って、名前のとおり紫色の花だと思いこんでいました。恥ずかしい~ですね。
『日本書紀』によると、この薬猟には天智(てんぢ)天皇をはじめてとして、「大皇弟・諸王・内臣及び群臣」など主だった人びとがこぞって参加したようです。大皇弟とはもちろん大海人皇子のこと。そしてこの時、諸王のひとり、額田王もいました。狩が終わって宵には宴がもうけられ、座興としてうたわれたのが「あかねさす・・・」です。 蒲生野のとき、額田王は40歳を過ぎ、当時では初老、お婆さんといえたかもしれません。大海人との娘、十市皇女(とうちのひめみこ)は天智の皇太子大友に嫁いでおり、 孫も生まれようかという頃。すでに大海人とは別れ、天智の妻のひとりになっていました。

このとき、宴での天智の心境はどうだったのでしょうか? 笑って見過ごせたのでしょうか? 額田を交換条件のように大海人から無理矢理(?)引き離し娶ってしまっていたのですから。
ふたりのお歌をかいつまんでいいますと、「あなたが手を振っているのを野守りがみていますわ」(額田王)
「あなたが人妻と知りながら、どうして恋したうことなどありましょう」(大海人皇子)
ここで、登場人物の整理をしておきます。
野守り(のもり)・・・標野の番人をさしますが、このおうたでは天智ですね。
君・・・大海人です。
大海人の返歌での妹(いも)・・・額田。

異論もあるでしょうが、今日の研究者の先生方は宴席での座興というけれど、このストーリーは皇子と天皇ふたりの男に愛された女性との危険なラブ・ロマンスであってほしい。胸が高鳴る昼メロも捨てがたいし、韓流ドラマのようなドロドロした関係もいい。そして、額田が美人であったという記述(証拠)はなくても、安田靫彦(ゆきひこ)画伯が描いた(左図:「飛鳥の春の額田王」1964年制作の日本郵政切手)下膨れの絶世に美人であってほしいと切に願うのです。(ま)