コラム COLUMN

第12回 ヤマハギ 万葉呼名:はぎ(萩)

高円の 野辺(のへ)の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに

笠金村歌集

マルバハギ
―高円山の野のほとりの秋萩はむなしく咲いて散っているらしい。もう見る人もいないのに―

『万葉集』は、約100年余りわたる作品を収めていますので、時代とともに歌風の変遷があり、大きく4つに分けられます。
第1期・・・ 「初期万葉」といわれ、629~672年(壬申の乱)頃をいいます。磐姫皇后(いわのひめのおおさき)、雄略(ゆうりゃく)天皇、聖徳太子、舒明(じょめい)天皇、有間皇子、天智天皇、鏡王女、額田王、天武天皇らが挙げられます。
第2期・・・~710年(平城京遷都)までをいい、持統天皇、大津皇子、柿本人麻呂、高市黒人(たけちのくろひと)、志貴皇子、長意吉麻呂(ながのおきまろ)らがこのグループです。
第3期・・・山部赤人と山上憶良の時代で、憶良が亡くなるまでの733年ころまでをいいます。大伴旅人、笠金村(かさのかなむら)、高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)、大伴坂上郎女、湯原王(ゆはらのおおきみ)らがいます。
第4期・・・大伴家持によって最後の歌が詠まれた759年まで。大伴家持、大伴地主(おおとものいけのぬし)、市原王、田辺福麻呂、笠女郎、中臣宅守(なかとみのやかもり)、狭野茅上娘子(さののおとがみのおとめ)。
ちなみに『万葉集』最後(4516番目)の歌は、家持の『新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)』 ―新しい年の始めの、初春の今日降る雪のように、良いことが積み重なりますように― です。

笠金村が詠んだ萩は憶良の「秋の七草」に最初に登場してきます。萩は低木で草ではないので「?」と思いましたが、憶良は「秋の七草」ではなく、正確には「秋の七種」と言っています。な~るほど、木でも草でもどっちでもウエルカムですって!
『万葉集』にはたくさんの植物が詠まれていますが、その中で最も多いのが萩です。現代ではお花見は当然「桜」ですが、万葉時代では梅か萩のことでした。梅は中国からの輸入モノで貴族のお庭でしか観ることができませんでしたが、その点、萩は野山のいたる所で咲いていましたから、多くの歌に詠まれたのも納得ですネ!

さて、笠金村は山部赤人と同時代ころの下級官人で、お歌の技量が認められ宮廷歌人の座を得たようです。そして、一族にはな、なんと大伴家持に恋の歌を贈り続けた女性としてつとに有名な女性、笠女郎(かさのいらつめ)がいます(参照:なでしこ)。世間は狭い!?(ま)