コラム COLUMN

第20回 サクラ 万葉呼名:さくら(桜)

あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の 薫(にお)ふがごとく 今盛りなり 


平城京跡に建つ歌碑(ウィキペディアより)

またまた番外編です。小野老(おののおゆ)が詠んだ「咲く花」には諸説あります。(1)桜 (2)梅 (3)この季節、奈良に咲いていた花の総称といろいろな解釈があるようですが、ワタクシは「薫(にお)ふがごとく」といっているので、「梅」のような気がしないようでもないのですが、やっぱり「桜」。「桜」ですよね。

さて、『万葉集』には、桜を詠んだ歌が40首ほどありますが、そのほとんどが「ヤマザクラ」ではないかといわれています。この歌も桜といわずに「咲く花」と詠んでいますが、「ヤマザクラ」をさしているように思います。今、全国の桜の70%は「ソメイヨシノ」だそうですが、江戸末期に植木職人が「オオシマザクラ」と「エドヒガン」から品種改良した園芸品種なので、奈良時代には「ソメイヨシノ」は存在しませんでした。

―奈良の都は、咲く花の輝くように、今、まっさかりです―

小野老がこの歌を詠んだのは大伴旅人(おおとものたびと)が開いた宴でのことでした。都から遠く離れた九州・大宰府の地で、花盛りで美しい都を思い出し詠んだのです。老(おゆ)のことは覚えてなくても、「あをによし・・・・・」は『万葉集』の中でも超有名で、確か歴史の教科書の奈良時代の冒頭に載っていたように記憶しています。旅人も都に帰えりたい気持ちを歌に詠んでいますが(参照:わすれぐさ)、老の都を思う気持ち、帰りたい気持ちがヒシヒシと伝わってきます。太宰府に赴任してから3、4年後、都に戻ることもなく当地で亡くなっています(聖武天皇のころに都にもどった説もあるらしい)。老には都の満開の桜を一目見せてあげたかったですねぇ、ほんとう~に。(涙)

ここで、桜について一口メモ。桜餅を包んでいる葉は「オオシマザクラ(大島桜)」、オメデタイ席でいただく桜湯は「ヤエザクラ(八重桜)」の花を塩漬けにしたものだそうです。

本学は開学してから24年になります。創立時に植栽された桜は直径5cmにも満たないようなか細い木々でしたが、やがて成長して桜のトンネルができ、私たちを楽しませてくれるようになりました。大学も桜もいっしょに時を重ねてきたんですよ。(ま)