広場西側の草花・句 FLOWER & HAIKU

広場西側

イタジイPieris japonica subsp. japonica

万葉呼名/しい 分類/ブナ科常緑高木 結実時期/10月~

「家にあらば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」有間皇子(巻二・一四二)

  *家にいたら器(笥-け)に盛るご飯を、旅にあるので椎の葉に盛るのです。

有間皇子の父・孝徳天皇は大化の改新により即位したが、実権を握る中大兄皇子(後の天智天皇)と対立し、失意のうちに崩御した(このとき有間は14歳)。身の危険を感じた皇子は狂人を装うが、19歳のときに蘇我赤兄(そがのあかえ、蘇我馬子の孫)に謀反をそのかされ、中大兄のもとへ連行される途中に詠んだ歌が、「磐代の 浜松が枝(え)を 引き結び 真幸(まさき)くあらば また還り見む」(巻2-141)。 題詞「有間皇子自ら傷み松が枝を結ぶ歌二首」の一首目で、海辺の松の小枝を結び、「真幸くあらば」命が無事ならば、この松を見られるだろうか・・・・・と。
旅先での食事は、木の葉に盛り付けることは一般的なことであったが、先代天皇の子らしからぬ待遇に身の悲哀を感じたことであろう。中大兄の尋問に有間は「天と赤兄のみぞ知る。私は全く知らない」と語ったいう。たったの1週間余りで処刑された有間皇子の無念の死は、強烈な印象をもって人びとに記憶されている。


フジWisteria floribunda

万葉呼名/ふぢ 分類/マメ科蔓性落葉木 開花時期/4~5月

「藤波の 花は盛りに なりにけり 奈良の都を 思ほすや君」大伴四綱(巻三・三三〇)

   *藤の花が波打つように盛りになりました。これを見ると、奈良の京を思い出されるでしょうか、君よ。


ユズリハDaphniphyllum macropodum

万葉呼名/ゆづるは 分類/ユズリハ科常緑高木 新芽時期/4~5月

「古に 恋ふる鳥かも ゆづるはの 御井の上より 鳴き渡り行く」弓削皇子(巻二・一一一)

  *昔を恋い慕う鳥でしょうか。ゆずりはの御井の上を鳴きながら大和の方へ飛んでいきます。

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ワラビPteridium aquilinum

万葉呼名/わらび 分類/ワラビ科シダ植物 新芽時期/4月

「石走る 垂水の上の さわらびの萌え出づる春に なりにけるかも」志貴皇子(巻八・一四一八)

  *岩の上をほとばしり流れる 垂水のほとりのさわらびが 萌え出る春になったのだなあ


ススキMiscanthus sinensis

万葉呼名/すすき 分類/イネ科多年草 開花時期/9~10月

「婦負の野の すすき押し並べ 降る雪に 宿借る今日し 悲しく思ほゆ」高市黒人(巻一七・四〇一六)

  *婦負の野の、薄を押しなびかせて降る雪の中で宿を借りる今日は、悲しく思われる。


ハンノキAlnus japonica

万葉呼名/はり 分類/カバノキ科落葉高木 結実時期/10月

「綜麻かたの 林の前の さ野榛の 衣に付くなす 目に付く我が背」井戸王(巻一・一九)

  *綜麻形をした三輪山の林の端の 榛が 衣によくつくように よく目につく愛しい人よ。


カワラナデシコPieris japonica subsp. japonica

万葉呼名/なでしこ 分類/ナデシコ科多年草 開花時期/6月中旬~8月

「朝ごとに 我が見るやどの なでしこが 花にも君は ありこせぬかも」笠女郎(巻八・一六一六)

  *毎朝私が見る庭のなでしこの花が、あなたならよいのに。

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「なでしこ」は山上憶良が詠んだ「萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなえし また藤袴 朝顔(あさがほ)の花」(巻8-1538)の「秋の七草」の1つ。
この「なでしこ」を含め、奈良時代の女流歌人、笠女郎(かさのいらつめ)が詠んだ『万葉集』に残る29首の歌は、すべて大伴家持に贈られた恋の歌だ。巻4には24首もの歌がまとめて収められているのは『万葉集』の選者である家持にとって、数多の女性のひとりであった女郎の歌の技量を高く評価していたからであろうか。しかし、家持が和した歌は2首のみで、その恋は報われることはなかった。
ちなみに、家持が最も愛した花が「なでしこ」の花であった。


サネカズラKadsura japonica

万葉呼名/さなかづら 分類/マツブサ科サネカズラ属の常緑つる性木本 結実時期/11月頃

「玉くしげ 三諸の山の さなかづら さ寝ずはつひに ありかつましじ」中臣鎌足(巻二・九四)

  *みもろの山のさねかずら さ寝ずにはとても生きていられそうにありません


キキョウPlatycodon grandiflorus

万葉呼名/あさがほ 分類/キキョウ科多年草 開花時期/6~9月

「萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなえし また藤袴 朝顔が花」山上憶良(巻八・一五三八)

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スミレRhododendron kaempferi

万葉呼名/すみれ 分類/スミレ科多年草 開花時期/1月~

「春の野に すみれ摘みにと 来し我そ 野をなつかしみ 一夜寝にける」山部赤人(巻八・一四二四)

  *春の野にすみれを摘もうと思って、来た私は野を去りがたくなって一晩寝てしまった

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オミナエシPieris japonica subsp. japonica

万葉呼名/をみなへし 分類/オミナエシ科多年草 開花時期/7月~

「をみなへし 佐紀沢(さきさは)に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも」中臣女郎(巻四・六七五)

  *佐紀沢に生える花かつみ―かつて思いも知らなかった恋をしているのですよ。

女郎花(オミナエシ)は山上憶良が詠んだ秋の七草の1つで、『万葉集』では14首詠まれており、昔から多くの人たちに親しまれた植物である。「をみな(女郎)」は若く美しい女性の意。「へし」は「圧し」で、「女性さえ圧倒してしまうほど美しい」という説がある。をみなへしは佐紀沢にかかる枕詞。花かつみは『万葉集』ではこの歌にしか詠まれていないので、水辺に生える草の名、あるいはカキツバタやショウブ、アヤメという説もあるが、をみなへしとは季節感が異なり、実のところ不明である。上の歌と似た表現の歌を紹介する。「をみなへし 佐紀野に生ふる 白つつじ 知らぬこともち 言はえし我が背」作者未詳(巻11-1905)
中臣女郎(なかとみのいらつめ)は名門の貴公子、大伴家持にいくつもの歌を贈っている。この時代の恋のさやあては歌だ。 藤原女郎しかり、笠郎女、紀女郎らも・・・。
中臣女郎が家持に贈った5首の1つに「海の底 奥を深めて わが思(も)へる 君には逢はむ 年は経ぬとも」 (巻4-676)― 大海の底のように深く慕うあなたには何としてもお逢いしよう。たとえ何年後でも―がある。


ヤマユリLilium auratum

万葉呼名/ゆり 分類/ユリ科多年草 開花時期/7~8月

「道の辺の 草深百合の 花笑みに 笑みしがからに 妻と言ふべしや」作者不明(巻七・一二五七)

  *道端の草深ゆりの花のように微笑んだくらいで妻と言ってよいものでしょうか。


ヤマユリ (出典:Wikipedia)

クロマツPinus thunbergii Parl.

万葉呼名/まつ 分類/マツ科常緑高木 開花時期/4~5月

「我が背子は 仮廬(かりいほ)作らす 草(かや)なくは 小松が下の 草を刈らさね」中皇命(巻一・一一)

  *あなた、草が足りないのなら、小松の下にも生えていますよ。

中皇命(なかつすめらみこと)は謎多き人物で、初期万葉の代表的な女性歌人の1人。額田王と同様に宮廷の宴席などで活躍したようだ。中皇命とは「中立ち」という意味で、つまり夫である高徳天皇没後、母親の斉明天皇が即位・崩後、中大兄皇子が天智天皇として即位するまでの中継ぎとして一時的に皇位についていた説。ほかにも中皇命は斉明天皇だった説。はたまた、中大兄自身であったなど諸説様々で面白い。現在では、 舒明天皇と皇極・斉明天皇の間の娘、間人(はしひと)皇女とする説が有力のようだ。間人皇女は中大兄皇子の妹であり、大海人皇子の姉でもある。
さて、この歌は658年斉明天皇が牟婁(むろう)温泉(今の和歌山白浜温泉)へ行幸したときに詠まれた。当時は、宿泊施設などは十分ではなく、下々の世話役や護衛官らの多くは簡単な小屋を作って、そこに寝泊まりしたと考えられる。
この行幸の途中で、間人皇女と高徳天皇の皇子である有間が蘇我赤兄にそそのかされ、謀反の罪で連行されるのである(このページ上部、イタジイを参照)。おそらく、歌の内容からいっても有間が処刑される以前の歌であろう。